建安01年(196)42歳:巻29「方技伝(華佗)」:華佗の評判を聞きつけて、曹操は華佗を召しだし、華佗は常に曹操の左右に侍した。曹操は頭痛に苦しみ、発作が出ると、心拍は乱れ目は眩んだが、華佗が横隔膜に針を打つとすぐに収まった。……華佗はもと士人であったから、医者としてしか見られないことに不満を持っていた。後に曹操が重病になったとき、もっぱら華佗にのみ診せた。華佗が妻が病気だと偽って郷里に帰ると、曹操は様々な手段で呼び戻そうとしたが華佗は応じなかった。曹操は華佗を捕らえて投獄した。荀彧は彼のために命乞いをしたが、曹操は華佗を殺した。華佗の死後、曹操の頭痛はまだ治っていなかったが、曹操は、「華佗はこれを治せたはずだ。あいつは我が病を養って自分を尊重させようとしていたのだ。だからあいつを殺さなかったとしても我が病を根絶させてはくれなかったに違いない」と言った。3-p.802*, 4-p.327**

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