建安02年(197)43歳:巻1「武帝紀」裴注引『世語』:古い制度では、三公が兵を率いて参内する時は、みな(近衛兵が)戟を交差させ、頸を挟んで進ませた。初め、曹操が張繍を討伐しようとして天子に参内した時、この制度が復活した。曹操はこれより以降、二度と朝見しなかった。1-p.15*, 1-p.036** 只今、制作中です。