建安02年(197)43歳:巻10「荀彧伝」:曹操が天子を迎えてから、袁紹は内心不服だった。袁紹は既に河北を併合し、天下はその勢力を恐れていた。曹操はちょうど東に呂布を憂慮し、南は張繍に対抗し、宛で張繍軍に敗れた。袁紹から失礼な書簡を受け取った曹操は、立ち居振舞いが異常になるほど立腹した。衆はみな、張繍に負けたためだろうと考えたが、このことを鍾繇に問われた荀彧は、「公は聡明な人だから、過去のことを悔やんだりはしない。たぶん他の理由があるのだろう」と答え、すぐに曹操に会ってわけをたずねた。曹操は袁紹からの書簡を荀彧に見せ、「討伐しようとしても力がかなわない、どうすればいいだろう」と相談した。荀彧は、「昔から本当に才能があれば、弱くてもきっと強くなる、その地位にふさわしい人物でなければ、強くても簡単に弱くなる。これは劉邦・項羽の抗争を見てもわかるところだ。今、公と天下を争っているのは袁紹だけだ。彼は、外貌は寛大そうだが内心は猜疑心が強く、人に任せながらその心を疑う。公は聡明闊達でこだわりがなく、ただ適所適材のみを心がけている。これは度量において優れている点だ。袁紹は決断力がなく、チャンスを逃すが、公は大事に対してよく判断し、臨機応変だ。これは謀略において優れている点だ。袁紹は軍の統制がゆるく、法令が確立していないので、士卒は多くても実際には用いにくい状態だが、公は法令が十分に明らかな上に賞罰が必ず行われるので、士卒は少なくても、みな命を投げ出す覚悟で戦う。これは武力において勝っている点だ。袁紹は先祖から受け継いだ資産に依拠して、鷹揚に知恵者ぶって名声を集め、だから士人の能力に乏しい浮ついた者たちは彼に帰属しているが、公は至仁をもって人を待遇し、誠心誠意尽くしてうわべを取り繕うことはなく、自己に対しては倹約謹厳なのに、功績を挙げた者に対しては物惜しみしない。だから天下の実務能力のある忠誠の士はみな公に用いられたいと願っている。これは徳において勝っている点だ。そもそもこの四つの優位に加えて天子を擁し、正義を守るために征伐するのだから、誰が従わないでいられよう。袁紹の勢力など、なんということはない」と答えた。曹操は満足した。2-p.313*, 2-p.246**

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