建安02年(197)43歳:巻13「鍾繇伝」:関中の諸将馬騰・韓遂らがお互いにしのぎを削っていた頃、曹操は山東に出征中で、関右の動向を憂慮していた。そこで、鍾繇を侍中兼司隷校尉とし、節を持して関中の諸軍の監督をさせ、後事を一任した。鍾繇は長安に至ると騰・遂らに移書を回し、彼らのためになる利害禍福を述べたので、彼らはそれぞれ子を人質に入れてきた。2-p.392*, 2-p.449**

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