建安03年(198)44歳:巻1「武帝紀」:呂布が再び袁術の味方をして高順に劉備を攻撃させたので、曹操は夏侯惇を派遣してこれを救援するも不利、劉備は高順に破れた。九月、曹操は呂布を討つために東征。冬十月、彭城を降し、下邳まで進む。呂布は騎兵を率いて反撃してきたが、大いにこれを破る。曹操が追撃して城下まで迫った時、呂布は恐れて降伏しようとしたが、陳宮らはその計画を止めさせ、袁術に救援を求め、呂布に出撃するよう勧めた。だが戦ってまた敗れたので、戻って固く守り、なかなか陥落しなかった。時に曹操は連戦し、士卒は疲弊していたので、帰還しようとしたが、荀攸・郭嘉の計を用いて泗水・沂水を決壊させて城を水攻めにし、一月余りで降伏させた。呂布・陳宮を生け捕りにしてみな殺した。1-p.16*, 1-p.038** 只今、制作中です。