建安03年(198)44歳:巻1「武帝紀」:その初め、曹操が兗州を治めていた時、東平の畢諶を別駕とした。張邈が反すると、張邈は畢諶の母弟妻子を脅した。曹操は畢諶に、「君の老母があちらにいる。行ってよいぞ」と言い、畢諶は頓首して二心を抱かないと言い、曹操はこれを嘉し、ために涙を流した。だが、出て行ったきり、ついに帰ることはなかった。呂布が敗れると、畢諶は生け捕りとなった。衆は盧諶の為に懼れたが、曹操は、「そもそも人としてその親に孝である者は、どうして君主に対して忠でないことがあろう。私の求めるところだ」と言って、彼を魯相とした。1-p.16*, 1-p.039** 只今、制作中です。