建安04年(199)45歳:巻1「武帝紀」:春二月、曹操は徐州から昌邑(兗州山陽県)に帰還した。張楊、配下の楊醜に殺され、醜も眭固に殺され、固はその衆を率いて袁紹に帰属し、射犬に駐屯した。夏四月、曹操は軍を黄河に進め、史渙・曹仁に黄河を渡ってこれを撃たせた。眭固は、張楊の故長吏の薛洪・河内太守の繆尚を留めて守らせ、自らは袁紹に救援を求めるため、兵を率いて北へ向かった。史渙・曹仁は犬城でこれと出会い、交戦して大いに破り、固を斬った。曹操は黄河を渡り、射犬を囲んだ。薛洪・繆尚は衆を率いて投降。曹操は彼らを列侯に封じ、軍を敖倉に戻した。1-p.17*, 1-p.040** 只今、制作中です。