建安04年(199)45歳:巻32「蜀書・先主伝」裴注引胡沖『呉歴』:曹操はしばしば親密なものを派遣して諸将軍の中で賓客を招いて宴席を設ける者はがいないかを探らせ、いたら理由をつけてこれを殺した。劉備は時に門を閉じてかぶらを植えていたが、曹操は人を遣って門を覗かせた。劉備は張飛・関羽に「自分たちは野菜を植えているような人間か。曹公はきっと疑いを持っているから、ここに留まってはいられない」と言い、その夜に逃亡した。曹操から送られた衣服は尽く残して、小沛に赴き、衆を集めた。(裴松之は胡沖の記録を事実ではないと判断している。)4-p.875*, 5-p.035** 只今、制作中です。