建安04年(199)45歳:巻1「武帝紀」裴注引『魏略』:王忠は扶風の人。若くして亭長となる。三輔が乱れた時、忠は飢えから人を食った。仲間を引き連れ、南の武関に向った。ちょうど婁圭が荊州を治めていて、北方からの客人を迎えに来させていたが、忠は彼らを迎え撃ち、兵を奪い、衆千余人を集めて曹操に帰属した。曹操は忠を中郎将に拝して、征討に従わせた。五官中郎将(曹丕)は忠がかつて人を食ったことがあるのを知っていたので、芸人に命じて墓のあたりに転がっている髑髏を持ってこさせ、忠の馬の鞍に付けて、笑いの種にした。1-p.18*, 1-p.042** 只今、制作中です。