建安04年(199)45歳:巻12「司馬芝伝」裴注引『魏略』:(劉勲は、中平の末に沛国建平長となり、曹操と古馴染み。)後に廬江太守となり、孫策に敗れたので、自ら曹操に帰順してきた。列侯に封ぜられ、かくして出兵の時も平時も議論の場に従った。勲は曹操と古馴染みであることをかさにきて、日々傲慢になり、しばしば法を犯し、また誹謗中傷の言葉を吐き、後に逮捕された。2-p.387*, 2-p.434** 只今、制作中です。