建安05年(200)46歳:巻36「蜀書・関羽伝」:袁紹は顔良を遣って東郡太守の劉延を白馬に攻撃させた。曹操は張遼・関羽を遣って先鋒攻撃させた。関羽は顔良の首を取った。曹操は関羽を漢寿亭侯に封じた。初め、曹操は関羽の為人を高く買っていたが、久しく留まるつもりはないだろうと察して、張遼にひそかに心中を問わせた。関羽は嘆息して、「私は曹操が私を厚遇してくれているのは知っているが、私は劉将軍に厚い恩義を受け、共に死のうと誓った仲であるから、裏切るわけにはいかない。私はいつまでも留まることはしないが、きっと手柄を立てて曹操の恩に報いてから去るつもりだ」と言った。張遼がその言葉を曹操に伝えると、曹操はこれを高く評価した。関羽が顔良を殺すと、曹操は彼がきっと去るであろうことを知り、重ねて賞与を加えた。関羽はその賜りものに尽く封をし、書簡で別れを告げて袁紹軍にいる先主のもとへ奔った。左右の者たちは追いかけようとしたが、曹操は「彼は自分なりにその主のためにやっているのだ。追いかけてはならない」と言った。4-p.939*, 5-p.166** 只今、制作中です。