建安05年(200)46歳:巻1「武帝紀」:袁紹は再び進軍して官渡に臨み、土山や地下道を作った。曹操もまた内側で同じ物を作り、これに応じた。袁紹は陣営の中に矢を射り、それは雨のようで、外を行く者は盾を被り、衆は大いに恐れた。時に、曹操は食糧が少なく、荀彧に手紙を送って、許に戻ろうと思うがどうかと相談した。荀彧は、「袁紹は全ての衆を官渡に集めて公と勝敗を決しようとしている。公は至弱をもって至強に当ろうとしており、もし制圧することができなければ、必ず相手の乗じるところとなる、これは天下を決する大いなる時機だ。そもそも袁紹は無官の雄であるに過ぎず、人を集めることはできても用いることはできない。公の神武明哲と天子奉戴とをもってすればきっと勝てる」と応えた。曹操はこれに従った。1-p.20*, 1-p.045** 只今、制作中です。