建安05年(200)46歳:巻1「武帝紀」:冬十月、袁紹は食糧輸送車を遣るのに、淳于瓊ら五人に兵万余人を率いて護送させ、袁紹の陣営北四十里に宿営させた。袁紹の謀臣の許攸は貪欲で、袁紹は彼の欲望を満足させられなかったため、出奔し、曹操に淳于瓊を攻撃すべしと進言した。左右はこれを疑ったが、荀攸・賈詡は曹操に勧めた。曹操はそこで曹洪に留守を託し、自ら歩兵騎兵五千人を率いて夜行し、明け方に到着した。淳于瓊らは曹操の兵が少ないのを望見し、門の外に出て居並んだ。曹操は急襲し、淳于瓊は退いて陣営に立てこもったが攻撃を続けた。袁紹は騎兵を遣って淳于瓊を救援した。左右の者の中には、少しずつ近づいてくる賊騎に、兵を分けて当たるよう進言する者もいたが、曹操は「賊が背後に来てから言え」と怒った。士卒はみな必死で戦い、淳于瓊を大いに破り、みな斬った。1-p.21*, 1-p.048**

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