建安05年(200)46歳:巻7「呂布伝」裴注引『先賢行状』:陳登、江淮の間に人望あり、江南を併呑しようと志す。孫策に攻撃され、人数が足らずに善戦し、曹操に救援を要請した。その後、陳登は東城太守に転任。かくして孫権は長江の北まで支配するようになった。曹操は長江を前にするたびに、早くに陳登の計略を用いなかったために呉の勢力を拡大させてしまったことを残念がった。(繋年については『資治通鑑』巻63・漢紀55に注記有り)1-p.230*, 2-p.038**

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