建安06年(201)47歳:巻1「武帝紀」:夏四月、兵を黄河のほとりに揚げ、袁紹の倉亭の駐屯軍を破る。袁紹は帰ると、散り散りになった兵を再び集め、そむいた諸郡県を攻めて平定した。九月、曹操は許へ帰還。袁紹は破れる前、劉備に汝南を侵略させたが、汝南の賊の共都らはこれに呼応した。曹操は蔡揚を派遣してこれを撃とうとしたが、利あらず、共都に破れた。曹操は劉備征伐のために南行。劉備は公自らが来ると聞いて、劉表の下へ走り、共都らはみな解散した。1-p.22*, 1-p.051**

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