建安07年(202)48歳:巻1「武帝紀」:(曹操は軍を官渡へ進めた。)袁紹は、自分の軍隊が敗れてから、病を発して吐血し、夏五月に死んだ。小子の袁尚がこれに代わった。袁譚は自ら車騎将軍と号して黎陽に駐屯。秋九月、曹操はこれを征伐しようとして連戦。袁譚・袁尚は何度も敗退し、固守した。1-p.23*, 1-p.053**

只今、制作中です。