建安07年(202)48歳:巻54「呉書・周瑜伝」裴注引『江表伝』:曹操は袁紹を破ったばかりで、軍事力は日々盛んになっていった。建安七年、(曹操は)孫権に息子を人質として出すように要求した。……孫権に相談された周瑜は、人質を送れば曹氏に終始仕えなければならなくなる、もし曹氏が義をもって天下を正すことができたなら、それから仕えても遅くはない、と答えた。5-p.1260*, 7-p.052** 只今、制作中です。