建安08年(203)49歳:巻1「武帝紀」:春三月、袁尚、袁譚のいる城郭を攻め、大いにこれを破った。夏四月、鄴に進軍。五月、許へ帰還。賈信を黎陽に駐屯させる。己酉(二十五日)、令を発す。「『司馬法』には、将軍は、退却した時は死罪とある。だから趙括の母は、趙括に連座しないよう頼んだのである。これは、古の将軍は国外で破れると、その家族が国内で罪を受けたことを示している。将軍として任命し征伐に赴く以上は、ただ功績を賞し、罪を罰しないというのでは国典とは言えない。諸将に出征させる場合、敗退した者はこれを罪とし、利を失った者は官爵を取り上げる」と。1-p.23*, 1-p.053** 只今、制作中です。