建安08年(203)49歳:巻1「武帝紀」裴注引『魏書』:庚申令に「議論する者の中には、軍吏として功能があっても、徳行が足りなければ、郡国から選出されるだけの人物としては不十分だと主張するものがいるが、これはいわゆる「ともに道を行くべきだが、ともにことを謀ることはできない」(『論語』子罕篇)だ。管仲は「賢者がその能力によって俸禄を与えられれば上にあるものは尊敬され、闘士がその功績によって俸禄が与えられれば士卒は命を投げ出して戦う。この両者が国に備われば、天下は治まる」と言った。無能の人、不闘の戦士が等しく俸禄賞与を受けるような状況で、功を立て、国を興すことができるとは聞いたことがない。だから明君は功績のない臣には官職を与えず、戦わない兵士には恩賞を与えない。平穏な時代を治めるには徳行を重んじ、有事の時代には功能を賞揚するのだ。論者の言葉は、なんと管から虎を覗くのに似ていることよ」と。1-p.24*, 1-p.054** 只今、制作中です。