建安09年(204)50歳:巻1「武帝紀」:秋七月、袁尚は鄴を救援するために帰還。諸将はみな「これは帰還師団で、自主的に戦うので、避けたほうがいい」と言ったが、曹操は「袁尚が大道から来れば避けるべきだが、もし西山に沿って来るようなら、虜となったも同然だ」と言った。袁尚は果たして西山から来て、滏水に臨んで陣営を敷いた。(袁尚軍が)夜、兵を遣って包囲を犯してきたので、曹操はこれを迎え撃ち、追撃し、ついにその陣営を包囲した。合戦にならないうちに、袁尚は恐れ、故豫州刺史の陰夔及び陳琳を遣って投降を願い出てきたが、曹操は許さず、いよいよ厳しく包囲した。袁尚は夜に遁走し、祁山に立てこもったが、これを追撃した。その将の馬延・張顗らは投降しようとし、衆は大いに破れ、袁尚は中山に遁走した。(曹操軍は)その輜重を尽く獲り、袁尚の印綬節鉞を得、袁尚軍の降伏した者たちをその家族に示させると、城中は総崩れとなった。1-p.25*, 1-p.056** 只今、制作中です。