建安10年(205)51歳:巻1「武帝紀」:九月、次のとおり令を下した。「徒党を組むことは昔の聖人が悪んだところだ。聞くところによると、冀州の習俗では、父子が党派を異にし、互いに批評しあうとのこと。昔、直不疑は兄がいなかったのに世の人は彼を兄嫁を盗んだと批判したし、第五倫は三度親のいない娘を娶ったのに妻の父を鞭打ったと批判された。王鳳は権力を恣にしているのに谷永はかれを申伯になぞらえ、王商が忠心からの議論を述べているのに、張匡は彼を邪道と非難した。これらは皆、白を黒と言いくるめ、天を欺き君主をないがしろにするものだ。私は風俗を整えたいと思うが、先に述べた四者のごときが除かれないのを恥ずかしく思う」と。冬十月、公は鄴へ帰還した。1-p.27*, 1-p.061** 只今、制作中です。