建安11年(206)52歳:巻1「武帝紀」:(その初め)三郡の烏丸族は天下の混乱に便乗して、幽州を破り、漢族の民合計十余万戸を略取した。袁紹はその酋長をみな単于に立ててやり、家の使用人の子を我が娘として、彼らに娶わせた。なかでも遼西単于の蹋頓は最も強力で、袁紹に厚遇されていたので、袁尚兄弟は彼のもとに身を寄せていたのだが、その蹋頓はしばしば国境を侵して入り、害を為した。曹操はこれを征伐しようとして、呼沲から泒水に入る渠を開鑿し、平虜渠と名づけた。また、泃河口から潞河に入る経路を開鑿して泉州渠と名づけ、もって海に通じさせた。1-p.28*, 1-p.063** 只今、制作中です。