建安11年(206)52歳:巻1「武帝紀」裴注引『魏書』:曹操の令に言う。「昔、趙奢や竇嬰は将軍となるや千金を下賜されたが、一朝にしてこれをばら撒き、だからこそ大いなる功績を上げ、永遠の名声を獲得した。私はその文章を読んでいつもその人柄を慕ったものだ。諸将士大夫とともに討伐に従事し、幸いに賢人はその知謀を出し惜しみせず、兵士たちはその力を出し惜しみしなかったから、暴乱を平定することができた。それのに私は身の程知らずにも戸邑三万もの恩賞を戴いた。竇嬰が金を散じた義を追慕し、今私が受領している租税を分けて諸将や掾属、そして以前陳・蔡の守備に当たった者たちに与える。皆の苦労に報いて、大いなる恩恵を独り占めしないようにしたいと思う。戦死した者の孤児に等級を付け、租穀を彼らに与えよ。もし豊作で用足しに十分で、租や献上物が全部入ったら、大いに皆と共にこれを享受しよう」と。1-p.29*, 1-p.064** 只今、制作中です。