建安13年(208)54歳:巻29「方技伝(杜夔伝)」:(杜夔は中平5年に疾をもって辞職、州郡の辟するにも応ぜず、荊州に逃れる。荊州牧劉表が雅楽を設けようとしたのを諌める。)劉表の子の劉琮が曹操に降り、曹操は杜夔を軍謀祭酒として大楽のことに参与させ、雅楽を創制させた。杜夔と鐘の鋳造をする柴玉とが韻律をめぐって対立すると、曹操は鋳造した鐘をランダムに並べて二人を試し、杜夔の耳の正しさが証明されると、柴玉とその子たちを罰して養馬士とした。3-p.806*, 4-p.339**

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