建安13年(208)54歳:巻1「武帝紀」:益州牧の劉璋、始めて懲役を受け入れ、兵士を曹操の軍に供給した。十二月、孫権、劉備のために合肥を攻撃。曹操は江陵から劉備を攻め、巴丘に至り、張憙を派遣して合肥を救援。孫権は張憙の到来を聞くと敗走。曹操、赤壁に至り、劉備と戦って苦戦。おりしも疫病が大流行し、吏士に多く死者が出たので、軍を引き返して帰還。劉備はかくして荊州・江南の諸郡を手に入れた。1-p.30*, 1-p.067**

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