建安13年(208)54歳:巻1「武帝紀」裴注引孫盛『異同評』:『呉志』では、劉備がまず曹操の軍を破ってから、孫権が合肥を攻めたことになっているが、武帝紀では孫権がまず合肥を攻め、その後に赤壁の戦いがあったように記されている。両者は同じでないが、『呉志』の方が正しい。1-p.31*, 1-p.070** 只今、制作中です。