建安13年(208)54歳:巻11「王脩伝」裴注引『魏略』:(脂習は孔融と仲がよく、曹操に対する態度が傲慢だった孔融に忠告していたが)、孔融が殺されて、許昌の百官たちで孔融と親しかった者の誰も、彼の屍を引き取ろうとしなかったが、脂習だけが赴いて屍を撫し、これを哭した。曹操はこれを聞くと習を捕らえて裁判にかけようとしたが、まもなくその行為の真っ直ぐさによって赦され、許の東の土橋のふもとに転居した。習は後に曹操に会見し、前の過ちを謝罪した。曹操は彼の字を呼んで「君はもともと気概があったからなあ」と言い、その居所を問い、穀百斛を賜った。(黄初年間に入っても大切にされた。)2-p.349*, 2-p.335** 只今、制作中です。