建安14年(209)55歳:巻1「武帝紀」:三月、軍隊は譙に至り、軽舟を作って水軍を訓練。秋七月、渦から淮に入り、肥水を出て合肥に布陣した。辛未()、曹操は「近年来、軍はしばしば遠征し、また疫病にかかった者もいて、吏士は死亡して帰らず、家人は取り残され、人民は流浪しているが、仁者はどうしてこうした状況を楽しめようか。止むを得ないのである。それ、死者の家に基業がなく自活できない者に対しては、県の役人は扶持米を絶やさず、長吏はねんごろに面倒をみてやって、もって我が意に沿ってくれ」との令を発した。揚州に郡県長吏を置き、芍陂屯田を開いた。十二月、軍は譙に帰還した。1-p.32*, 1-p.070** 只今、制作中です。