建安15年(210)56歳:巻1「武帝紀」:春、次のような令を発布した。「古より命を受けた君主、中興の君主で、賢人君子を得て共に天下を治めなかったものがいるだろうか。その賢者を得るのに、全く村里に赴かないでどうして僥倖に巡り合うことができようか。人の上に立つものが求めないだけなのだ。今、天下は未だ安定していない。これは特に緊急に賢者を求めるべき時である。孟公綽は趙・魏の家老となれば十分にやっていけるが、滕・薛の大夫となることはできない(『論語』憲問篇)。もし廉士であって始めて用いられるということだと、斉の桓公はいったいどうして覇者となり得ただろうか。今天下に、粗末な衣を身にまとい玉のごとき高潔さを抱いて、渭水のほとりで釣りをしているような者はいないと言えるか。また兄嫁を盗み賄賂を受け取りながら、まだ魏無知に出逢っていない者がいないと言えるか。君たち、どうか私のために低い地位にある者を、ただ才能によってのみ推薦してくれ。私はその者を任用しよう」と。1-p.32*, 1-p.070** 只今、制作中です。