建安15年(210)56歳:巻54「呉書・周瑜伝」裴注引『江表伝』:初め、曹操は周瑜が若いのにすばらしい才能を持っていると聞いて、人を遣って言葉でその心を動かせると思い、ひそかに九江の蒋幹を遣って周瑜に会見させたが、周瑜は堂々と対処し、これによって中原の人々は称賛した。……曹操は赤壁の戦いで敗れたとき、周瑜に負けたのだから自分は敗走を恥ずかしいとは思わないと言ったが、後に孫権に宛てた書簡では、赤壁の戦いでは疫病が流行ったために船を焼いて退却したが、みだりに周瑜に名を馳せさせることになった、と述べた。5-p.1265*, 7-p.064**

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