建安16年(211)57歳:巻11「邴原伝」裴注引『邴原別伝』:曹丕が五官中郎将となり、世の人々はみな彼のもとに集まったが、邴原はひとり道を守り、いつもどおりの態度で、公的なことでなければ妄りに動いたりすることはなかった。曹操は人をやって、それとなく邴原にこのことを聞いてみたところ、邴原は、「私は、伝統的規範として、国家が危険な時は宰相に仕えず、君主が老年の時は跡継ぎには仕えない、と聞いている」と。そこで曹操は邴原を五官長史に転任させ、「わが子は弱くて才能がなく、是正しがたいのではないかと懼れている。どうか激励し矯正してやってくれ。賢者を利することになるが、恥じている場合ではない」との令を発した。曹丕が宴会を開き、衆賓百数十人が集う中、太子は次のような問いかけをした。「君主と父とどちらも重病にかかっていて、薬が一つしかなく、一人しか救えない場合、君主を救うべきか、父を救うべきか」と。衆人たちは口々に、君主だの父だのと意見を述べた。時に、邴原はそこに居合わせながら論に加わらなかった。太子が邴原に問うと、原はきっぱりと「父だ」と言ったので、太子もそれ以上難詰できなかった。2-p.353*, 2-p.345** 只今、制作中です。