建安16年(211)57歳:巻1「武帝紀」:張魯が、漢中に割拠した。三月、鍾繇を派遣して討たせた。曹操は夏侯淵らに命じて河東を出て鍾繇と合流させた。この時、関中の軍閥たちは鍾繇を疑い、自ら攻撃を仕掛けようとした。かくして馬超は韓遂・楊秋・李堪・成宜らと反乱を起こした。曹操は曹仁を遣ってこれを討伐させた。馬超らは潼関に駐屯し、曹操は諸将に勅して「関西の兵士たちは精悍だ。砦を固めて、彼らと戦ってはならない」と言った。1-p.34*, 1-p.076** 只今、制作中です。