建安16年(211)57歳:巻1「武帝紀」:(関中の軍閥を討伐)別の日、曹操はまた韓遂に書簡を送ったが、あたかも韓遂が改定したかのように、改竄の痕を多く作ったので、馬超はいよいよ韓遂を疑った。そこで曹操は期日を決めて会戦し、まず軽兵でもって挑発し、戦いがやや久しくなると、虎騎を縦横に放って挟み撃ちにし、大いにこれを破って、成宜・李堪らを斬った。韓遂・馬超らは涼州へ敗走し、楊秋は安定に奔り、関中は平定された。1-p.35*, 1-p.077**

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