建安16年(211)57歳:巻12「邢顒伝」:邢顒が病で官を去った頃、曹操の諸子は盛んに属官を選抜していたが、令に「侯の家吏には邢顒のように法律を深く理解している人間を取るべきである」とあった。かくして、邢顒は平原侯曹植の家丞となった。邢顒は礼をもって引き締め、言いなりにはならなかったため、曹植とそりが合わなかった。庶子の劉楨は曹植を諌めて、「邢顒は北方の名士で、物静かで筋の通った真の士人である。私はこのような人と同列にいられるような人間ではない。それなのに私への礼遇は特別で、邢顒に対しては却って疎遠である。これでは、君侯は不肖の者に昵懇で、賢者を礼するが十分でなく、庶子の華やかさを取り上げ、家丞の堅実さを忘れていると観察者は思うのではないかと懼れる。上のために誹謗が招きよせられるのは罪が小さくない。このことで私はいても立ってもいられない」と述べた。後に参丞相軍事となり、東曹掾に転じた。2-p.383*, 2-p.425**

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