建安17年(212)58歳:巻1「武帝紀」:正月、曹操は鄴に帰還。天子は曹操に、蕭何の故事に倣って、拝謁の際に名を呼ぶことや宮中での小走りを免除し、剣を佩び履き物を履いて殿上にのぼることを許した。馬超の残党の梁興らが藍田に駐屯していたのを、夏侯淵を派遣して攻撃し平らげた。河内の蕩陰・朝歌・林慮、東郡の衛国・頓丘・東武陽・発干、鉅鹿の癭陶・曲周・南和、広平の任城、趙の襄国・邯鄲・易陽を分割して魏郡に加えた。1-p.36*, 1-p.081**

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