建安17年(212)58歳:巻14「劉曄伝」裴注引『傅子』:曹操は劉曄及び蒋済・胡質ら五人を徴したが、みな揚州の名士であった。都への帰途、曹操は彼らと議論をしたが、劉曄はずっと黙したままだった。それは、深遠な言葉はその精神に徴すべきで、単独で会見してその機微を語りつくさせるべきであって、座談によるべきではないという意味であった。曹操は彼の思いを知ってから、劉曄以外の四人は令とし、彼だけに腹心の任務を与えた。疑事があるたびに劉曄に封緘した書簡により下問し、それが一夜に数十至ることもあった。2-p.445*, 3-p.052** 只今、制作中です。