建安20年(21561歳:巻1「武帝紀」:秋七月、曹操は陽平(益州北部)に至った。張魯は弟の衛に命じて、将軍楊昂らとともに、陽平関を拠点に山を横切って十余里にわたって築城させ、(曹操軍は)これを攻めるが落とせず、軍を率いて帰還した。賊は大軍が退却するのを見て、守備を解いた。そこで曹操はひそかに人を遣って険阻に乗じて夜襲させ、大いにこれを破り、その将の楊任を斬り、更に進んで張衛を攻めた。衛は夜に遁走し、張魯は潰れて巴中に敗走。曹操軍は南鄭に入り、張魯の府庫の珍宝を尽く手に入れ、巴・漢は、みな降った。漢寧郡を復して漢中とした。漢中の安陽・西城を分割して西城郡とし、太守を置いた。錫・上庸郡を分割して、都尉を置いた。1-p.45*, 1-p.099** 只今、制作中です。