建安20年(21561歳:巻11「王脩伝」裴注引『魏略』:曹操が漢中を攻めようと武都にいた時、陽逵・田楽らが韓約の首を送ってきたが、その書状の連名の中に郭憲の名がなかった。曹操はもとから郭憲の名を聞いていたので不審に思い、その理由を聞いてみたところ、次のとおりだった。すなわち、韓約は衆を失って羌から帰還し、郭憲のもとに身を寄せてきた。憲の周りの人々は約の首を取って手柄を挙げようとしたが、郭憲は「人が困窮して私に身を寄せてきたのに、どうしてこれを危めたりできよう」と言って叱りつけた。その後、約は病死したが、田楽や陽逵らはその首を取って送ろうとし、郭憲の名も連ねようとしたが、憲はこれを拒否したのだ、と。曹操はその節義に感嘆し、陽逵らとともに関内侯の爵位を賜るよう上表した。2-p.350*, 2-p.336** 只今、制作中です。