建安21年(21662歳:巻1「武帝紀」:代郡烏丸の行単于普富盧とその侯王、来朝す。天子は魏王(曹操)の娘を公主に命じ、湯沐邑を与えた。七月、匈奴の南単于呼廚泉がその名王を引き連れて来朝したので、客礼をもってもてなし、かくして魏に留めて、右賢王去卑にその国を監督させることとした。1-p.47*, 1-p.102** 只今、制作中です。