建安22年(21763歳:巻12「鮑勛伝」:建安二十二年、太子が立つと、鮑勛を中庶子とした。その後、黄門侍郎に移り、出でて魏郡西部都尉となった。曲周の県吏であった太子の郭夫人の弟が官布を盗んだ時、曹操は譙にいて、太子は鄴の留守を守っていたが、何度も手書きで彼のために謝罪した。しかし鮑勛は特別扱いしなかった。鮑勛は東宮にいた時、公正さを守って太子の言いなりにならなかったが、このことが重なって、太子の鮑勛に対する怨みはいよいよ増し、ついに彼を免官とした。しばらくして侍御史に拝せられた。2-p.384*, 2-p.429**

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