建安22年(21763歳:巻25「楊阜伝」:曹操が都護の曹洪を派遣して馬超らを平定させたとき、曹洪は大いに酒宴を張り、女倡に薄絹の衣装を着せて、足を踏みならし太鼓を打たせた。一座は皆笑ったが、楊阜は声を厳しくして曹洪を叱責し、「男女の別は国の大節である。どうして人々の中で女性の裸体をあらわにさせるのか」と言って、退出した。曹洪はすぐに女楽を止めさせた。3-p.704*, 4-p.121**

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