建安25年(22066歳:巻1「武帝紀」裴注引『傅子』:漢末の王公は、王としての服飾を捨てる者が多く、幅の広い頭巾をかぶるのを雅と考えた。そこで、袁紹、崔鈞といった連中は、将軍となっても、みな絹の頭巾をかぶっていた。魏の曹操は、天下が荒れ果て、資財が乏しいという理由で、古代に倣って皮の弁をかぶり、絹を裁って帢(弁に似せたかぶりもの)を作り、簡易さと臨機応変さを実体化させた。色によってその貴賎を区別した。今に至るまで施行されているが、それは軍人のいでたちとも言うべきもので、国家経営者のそれではない。1-p.54*, 1p.-119**

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