巻3「明帝紀」裴松之注:黄初四年(223)、廟を二つ造り、曹騰・曹嵩・曹節を合祭し、他方、曹操の廟は特別に立てて壊すことのないように、との奏上があった。……景初元年(237)に至って始めて七廟の制度が定められた。1-p.97*, 1-p.234**

只今、制作中です。