さばききれない仕事

こんにちは。

一昨日の続きはまた後日に回して、
今日は古人とともに多忙をぼやきたいと思います。

この頃、学生たちにレポート課題を出すと、
所定の書式に従えなかったり、期日を守れなかったりすることが多くあります。
それは、今年度に入ってから始まったのではなく、もう数年来のことのように記憶します。
学生たちばかりではありません。私もよく同様の失敗をします。
なぜこんな風になってしまったのか。

文書の電子化ということが、このことに深く関わっていると私は思っています。
40年ほど前の学生時代には、すべてを手書きしていました。
それが、ある時期以降コピーを多用するようになり、
今は文書のほぼすべてをパソコン画面に向って作成しています。
(論文の基礎になる作品の読解やメモはノートに手書きです。)

たしかに便利で速い。けれど、人間の脳がそれに追い付いていないのではないでしょうか。

仕事(研究はこの例外)に追われるといつも思い出す詩があります。
今から1800年くらい前の建安詩人、劉楨が作った「雑詩」(『文選』巻29)です。

職事相填委  役所の仕事がうずたかく積み重なって、
文墨紛消散  文書はてんでに散乱している。
馳翰未暇食  筆を走らせ続けて、食事をする暇もなく、
日昃不知晏  日が傾く頃になっても、休息を忘れているほどだ。
沈迷簿領書  帳簿や記録の間に沈んで迷路をさまよい、
回回自昏乱  ぐるぐると頭の中は混乱している。
釈此出西城  こんなことはうっちゃって、西の城壁から外へ出て、
登高且遊観  高みに登って、しばし眺望を楽しんだ。
方塘含白水  四角く縁どられた池は清らかな水をたたえ、
中有鳬与雁  その中に鴨や雁が浮かんでいる。
安得粛粛羽  ああ、なんとかして軽やかに羽ばたける翼を手に入れ、
従爾浮波瀾  お前たちに従って波のまにまに戯れたいものだ。

この頃の文書は、まだ竹簡木簡が主流でしょうか。
それとも、そろそろお役所仕事に紙が流布しつつあったでしょうか。
(左思の「三都賦」が洛陽の紙価を高からしめたのは、このわずか数十年先のことです。)
戦乱期を抜け、製紙法の改良という技術革新を既に経たこの頃、
劉楨もまた、増殖する書類仕事に倦むようになっていたのかもしれません。

なお、本詩の文学的新しさについては、
かつてこちらの学術論文№31で触れたことがあります。
よろしかったらご覧ください。

2021年1月25日