曹植「朔風詩」の難解さ(承前)
こんばんは。
昨日に続いて、曹植「朔風詩」の難解さを掘り下げてみます。
説明の都合上、詩の原文を示します。語釈等の詳細は訳注稿をご覧ください。
仰彼朔風、用懐魏都。願騁代馬、倏忽北徂。(第一章)
凱風永至、思彼蛮方。願随越鳥、翻飛南翔。(第二章)
四気代謝、懸景運周。別如俯仰、脱若三秋。(第三章)
昔我初遷、朱華未希。今我旋止、素雪云飛。(第四章)
俯降千仞、仰登天阻。風飄蓬飛、載離寒暑。(第五章)
千仞易陟、天阻可越。昔我同袍、今永乖別。(第六章)
子好芳草、豈忘爾貽。繁華将茂、秋霜悴之。(第七章)
君不垂眷、豈云其誠。秋蘭可喩、桂樹冬栄。(第八章)
絃歌蕩思、誰与銷憂。臨川暮思、何為汎舟。(第九章)
豈無和楽、游非我隣。誰忘汎舟、愧無榜人。(第十章)
冒頭、「古詩十九首」其一とそれが基づく『韓詩外伝』の表現を用いて、
遠く離れ離れになっている二人を象徴的に詠い出します。
第一章に詠われた人は、南から北方を懐かしみ、
第二章の人は、北にいて南方にいる人に思いを馳せています。
ここまでなら問題ありません。
分からないのは、この古詩的表現に「魏都」という現実が混ざりこんでいることです。
魏の都とは、魏王国の鄴をいうのか、それとも魏朝の都である洛陽でしょうか。
いずれにせよ、「代馬」を疾駆させて向かうほど北方にはありません。
南の「蛮方」から見れば、こう感じられるのでしょうか。
第三章で詠われる離別は、第一・二章を受け、南北に引き裂かれた二人を指すでしょう。
第六章に「昔我同袍、今永乖別」というのも、同じ二人のことを言うでしょう。
昨日言及した第七章の「子(そなた)」「爾(おまえ)」は、
この文脈を受けて出てきた呼称です。
そして、結びの第九・十章に、
「舟を汎べて」会いに行きたいけれど叶わないと呼びかけられている人は、
前述の「子」「爾」であり、
第三章でその離別の悲痛が詠じられた相手であり、
この相手と本詩を詠じている人物とは、遠く南北に隔てられています。
そこで目に留まるのが、第八章に見えている、冬に花を咲かせる桂の樹です。
訳注稿の語釈に示したとおり、これは『楚辞』遠遊に詠われている南方特有の植生です。
すると、対を為す「秋蘭」は、相対的に北方にいる人に関連付けられるでしょうか。
第八章に登場する「君」は、「秋蘭」や「桂樹」が捧げられる人物です。
ならば、南方にいると想定される「子」「爾」とは別人だということになります。
そして、南と北とに切り裂かれている二人が、ともに誠意を表したいと思っている相手、
それが「君」だということになります。
そもそも、「子」「爾」は対等に近い間柄で用いられる呼称であり、*
それに対して「君」には上下関係のニュアンスが付いてきます。
本詩における「君」も、文字通り主君と見てよいかもしれません。
そして、南北に隔てられた人物たちから見ての「君」であったのかもしれません。
2021年3月12日