二つの視点を持つ楽府詩
こんばんは。
本日、曹植「美女篇」の訳注稿を公開しました。
この楽府詩に詠じられている美女は、
その美しさの表現が、詠み人知らずの古楽府「艶歌羅敷行」を思わせます。
では、古楽府と曹植作品との分岐点はどこにあるのでしょうか。
古楽府「艶歌羅敷行」は、
地方長官に見初められた、羅敷という名の美しい女性が、
自身の夫のすばらしさを述べ立てて、長官からの誘いを拒絶したという内容です。
他方、曹植「美女篇」で描かれる女性は、
賢明なる君子に出会いたいという叶わぬ願いにため息をついています。
賢者との邂逅を希求しつつ、時の移ろいに焦燥感を抱く、という内容は、
古詩(詠み人知らずの漢代五言詩)に散見するものではありますが、
注目したいのは、それが、美女を詠ずる楽府詩に取り込まれている点です。
要するに、曹植はこの楽府詩において、
外側から、常套的な表現でその女性の美しさを描き出す一方、
彼女の胸中を推し測り、その内面に触れて詠じてもいるのだと言えます。
そして、一篇の詩の中で、描く対象に内外二つの視点からアプローチしている、
そこが、古楽府にはなかった曹植作品の新しさであるように思います。
一般に、古楽府は叙事詩であり、建安の楽府詩は抒情詩的だと評されていますが、
それは、このような現象を指して言っているのかもしれません。
2021年3月20日