古詩を取り込んだ楽府詩

こんにちは。

昨日紹介した、阮籍「詠懐詩」其六十四が踏まえた可能性のある、
曹植「送応氏詩二首」其一について。

その末尾にいう「念我平常居、気結不能言」は、
訳注稿にも示したとおり、『玉台新詠』巻1所収「古詩八首」其七を踏まえています。
今、その全文を挙げれば次のとおりです。

01 悲与親友別  親友と別れるのが悲しくて、
02 気結不能言  気は結ぼれてものを言うこともできない。
03 贈子以自愛  そなたに、どうかご自愛くださいとの言葉を送ろう。
04 道遠会見難  道は遠く、お会いすることも難しくなるだろう。
05 人生無幾時  人の一生はいくばくもなくて、
06 顛沛在其間  その短い間には思いがけない挫折が待ち構えているものだ。
07 念子棄我去  繰り返し念頭に浮かび上がるのは、そなたが私を捨て去ってゆき、
08 新心有所歓  新しい心持で、親密な友に巡り会うのだろうということだ。
09 結志青雲上  世に出て、青雲の志を実現されたあかつきには、
10 何時復来還  いつかまた帰ってきてくれるだろうか。

相手に対する思いの濃密さ、距離の近さに少しく違和感を覚えるような詩ですが、
当時の中国の士人たちにとってはこれが普通だったのでしょうか。

それはともかく、「気結不能言」という句は、
別に、『宋書』巻21・楽志三所収の「艶歌何嘗行・白鵠」にも見えています。

ただ、この晋楽所奏の「艶歌何嘗行・白鵠」は、
この楽府詩の原型と見られる『玉台新詠』巻1所収の古楽府「双白鵠」に、
前掲の古詩「悲与親友別」や、
『文選』巻29所収の蘇武「詩四首」其三の句などが流入して成ったものと見られます。*

このような理由により、
曹植「送応氏詩二首」其一の語釈に、
晋楽所奏「艶歌何嘗行・白鵠」を挙げることはしませんでした。

2021年4月19日

詳しくは、こちらの論文№30、及び著書№4の第五章第三節第一項を参照されたい。