曹丕と曹植との間柄(再考)
こんばんは。
一般に認識されている曹丕と曹植との兄弟仲は、
よく知られている「七歩詩」(『世説新語』文学篇)に凝縮して見えるように、
決して仲睦まじいものではありません。
私自身も、二人の間柄に関心を持ったきっかけが曹植「贈丁儀」詩で、
これは、自分の腹心が、兄に殺害される直前に作られた詩と目されますから、*
二人はシビアに反目しあう関係にあったのだと見ていました。
ですが、魏の文帝として即位して以降の曹丕の逸話には、
曹植に対して、兄らしい親しみや愛情をもっているように見られるものもあります。
たとえば、こちらやこちらに記したエピソードなどがそれですが、
いずれも魚豢の『魏略』によるもので、信頼するに足る資料だと言えます。
また他方、曹植が自身の不遇を詠ずる場合、
兄の曹丕その人の仕打ちを非難するようなことはほとんどなく、
(為政者に対する皮肉っぽい批判と見られるような表現は散見するのですが)
こちらに述べたとおり、兄弟の間を裂く讒言の介在を告発するという立場を取ります。
二人の間柄については、
上述のとおり、これまでにも蛇行しつつ考えてきましたが、
やはり、これは抜本的に考え直す必要があると思いを新たにしました。
昨日述べたような、十代の頃の二人から再考です。
思うに、少年時代の仲睦まじい日々があったからこそ、
曹植は最後まで、兄を心底憎むことはできなかったのかもしれません。
また、曹丕は本来、とても心根の優しい人だったと推測されますが、*
様々なめぐりあわせにより、兄弟たちを冷酷に遠ざける権力者に成り下がった、
その、ある人物が変質していった過程にも興味があります。
2021年7月26日
*こちらの学術論文№34をご覧いただければ幸いです。