外側からの問いかけ

こんばんは。

一週間ほど前、「宮島学」というオムニバス授業で、
嚴島神社に伝わる舞楽の話をしました。

こちらの報告№12学術論文№36で論じた内容をベースに、
特に「蘭陵王」と「抜頭」を中心的に取り上げて、
これらの舞楽が、どの地域に発祥し、
どのような経路をたどって日本にやってきたのか、
そして、それらが日本でどのような変貌を遂げたのかを辿るという話です。

授業の振り返り課題として、次のような問いを提示しました。
「本日の授業を通して、文化の継承とはどのようなことだとあなたは捉えましたか。」

本日、学生たちが書いたものに目を通してまとめたのですが、
予想した以上に、的確に捉え、深く考察しようとしていたものが多かった。

授業で話した具体的な内容をまとめるという課題ではなくて、
その話の内容を受けとめることを通して開かれた思考回路を問いたかったのです。
(もっとも思考回路はそんなにすぐに開かれるものとは限りませんが。)

私はずっと、自分の専門分野からは幾分離れたところで仕事をしてきましたが、
そこで常に感じてきた軋みを、始めて肯定する気持ちになりました。

自身の研究ということにしても同様です。
中国古典文学という分野に散在する諸問題の解明に加えて、
自分はなぜ、どのような方法で、その問題に取り組んでいるのかを常に問う。
自分にとってごく自然に思われる問題意識が、
研究対象の時代には存在しなかったといものも少なくないのですから。

そうした外側からの視点なくしては、
この研究分野の存続が当然のこととは言えないように私は思います。

2021年10月17日