曹植「責躬詩」の通釈
こんばんは。
先ほど曹植作品訳注稿の「責躬詩」(04-19-1)を公開しました。
あまりにも長い間、足踏みを続けていたので、アップロードの手順を忘れかけていました。
公開までに時間がかかったのにはそれ相当の理由があります。
言葉の使い方でも、事実との整合性という面でも、とにかく読みにくいのです。
けれども、この詩を丁寧に読めば、黄初年間の曹植について、新たに分かることが多そうです。
そこで、これから何日か、どこがどう読みにくいのか、指摘してゆきたいと思います。
と思ったら、曹植「責躬詩」札記1,2,3,4,5,6、7など、
すでにいくつか小さな気づきを記していました。(自分でもすっかり忘れていました。)
明日からは、主に「責躬詩」とその背後にある歴史的事実との関係に焦点を絞り、
いくつかの難読箇所について検討してゆきます。
今日はまず、検討に便利なように、行頭に番号を付した、原文と通釈のファイルを示します。
語釈については、前掲「曹植作品訳注稿」の当該ページをご覧いただければ幸いです。
2021年12月28日